五聖閣のご紹介
五聖閣の理念
創業の時から世紀を超えて名前を通し社会に貢献する
名前は全ての始まりです。
五聖閣は名前の大切さを認識し、名前の持つ力を信じ、名前によって社会に認知されると考えます。
お生まれになられたお子様、 新たに芸能 ・ 芸術 ・ 文化活動を始められる方、 新規事業を展開する会社、店、新築されるビル、船舶など、全てに名前が必要なのです。
五聖閣は一世紀に亘り、名付けを始めとする、名前に関する様々なことに関わり続けてまいりました。
今後も、名前から始まる皆様の輝かしい未来へ向けて貢献させていただきます。

会社概要
社名 | 株式会社 五聖閣(ごせいかく) |
創業 | 昭和3年2月 |
設立 | 平成18年10月 |
代表者 | 代表取締役会長 熊﨑 健恒 代表取締役社長 熊﨑 一紗 |
所在地 | 〒143-0024東京都大田区中央3丁目4-1五聖閣ビル |
電話・FAX | TEL:03-3778-1002(代表) FAX:03-3771-9421 |
オフィシャルサイト | https://www.goseikaku.com |
オンラインサービス | https://www.goseikaku.co.jp |
事業概要 | 撰名部/個人・法人の命名・改名、名前の鑑定事業 鑑定部/時期・方位・家相鑑定事業 印章部/印鑑製造販売事業 その他/出版・講演・監修事業、五聖閣講学院 |

五聖閣ビル

GOSEiKAKU受付

『なまえ文化資料室』
アクセス
最寄り駅
JR京浜東北線「大森駅」 中央改札西口より東急バス10分「入新井第四小学校前/五聖閣前」停留所下車すぐ
(東急バス乗り場 1番・2番・3番からご乗車ください)
お客様との信頼をつなぐビジネスの取り組み
~ビジネスパートナーを募集しています~

五聖閣はお客様からの期待と信頼に誠実にお応えすることを大切に、これからもお客様との信頼を築いていきます。名前に関する撰名事業、各種鑑定の鑑定事業、印章・印鑑製造販売の印章事業について、企業様へ向けて五聖閣ならではのビジネスのご提案と企業様との事業連携を積極的に行っています。また、教育・講演事業の依頼も承っています。詳しくは五聖閣までお問い合わせください。
◆お電話でのお問い合わせは 03-3778-1002
月曜日~日曜日 10:00~18:00(年末年始を除く)
五聖閣のあゆみ
五聖閣は昭和3年 (1928年)2 月11日東京大森に設立されました。大正時代から東京の大森の馬込~山王・中央付近は、川端康成、北原白秋、尾﨑士郎、山本周五郎、宇野千代、三島由紀夫など数多くの文士や芸術家が移り住み、「馬込文士村」 と呼ばれる文化圏を形成していました。創業者熊﨑健翁は新聞界で30年余り活躍し、多くの明治・大正の人々を見てきたことから内外の著名人とも深いつながりを持ち、こうした影響から文化的に高い土地である東京大森に五聖閣を創業しました。
熊﨑は、明治の頃より研究を重ねてきた姓名学を創業の翌年昭和4年1月1日に公式発表し、当時雑誌の王様といわれていた「主婦の友」にて発表、同年6月に『姓名の神秘』を出版すると日本中で大きな反響を呼びました。深い考えと理論を持つ熊﨑式姓名学は瞬く間に全国に広がり、その後の日本の姓名学の基本となりました。
創業当時の日本は世界恐慌の影響で暗い日常の中、「姓名の神秘」は一筋の支えとなり、熊﨑の人々の幸福を願い創案された姓名学は、今日も名前の大切さを伝え続けています。
また、熊﨑は五聖閣を創業すると、精力的に執筆、出版活動を行い、姓名学や易学、家相学・方位学、推命学、人相学・手相学、印相学などの普及に努め、五聖閣の名を世間に広めていきました。そして今なお、姓名判断として多くの人々に愛用され、中国・台湾・韓国などの漢字圏の国々やヨーロッパ、アメリカにも広まっています。
以来五聖閣は、「名前を通して社会に貢献する」名前創造企業として、名前に関する各種事業と行うとともに、姓名学の研究・普及に努め、また先進的なテクノロジーを取り入れた事業の開発、オンラインサービスの強化を図るなど、未来に向けてより一層の発展を図っています。そして、100年企業を目指して歩み続けています。


五聖閣の名前の由来

五聖閣の名前は、設立にあたり創業者熊﨑健翁の人々を幸せにしたいという思いと、教育に対する確固たる考えが基になっています。教育の教えは「道」、「学」、「術」の三体であり、熊﨑健翁はその理念を行なうためには「道」「学」「術」がしっかりしていなければならないと考えました。「道」は正しい目的や考えを持つこと、「学」はその目的を正しい学理により考えること、「術」は道学に基づいて正しく行動することです。
そこで「道」については人の生きる道を教えた世界の聖人である釈迦、モーゼ、孔子、キリスト、マホメットを称えて五聖とし、「学」については東洋運命学の根本である易に関わりの深い伏羲(ふっき)、禹王、文王、周公、孔子を称えて五聖としました。そして「術」については五倫(仁・礼・信・義・智)、五行、名の五格を尊重することから、これらすべてを合わせた意味として「五聖閣」と名付けられました。
沿革
昭和3年(1928年) | 1月1日 主婦の友新年号“幸運占集の中にて姓名学を発表 2月11日 熊﨑健翁が東京大森に五聖閣を創立 |
---|---|
昭和4年(1929年) | 1月1日 姓名学公式発表、5月 『幸運になる名前のつけ方』出版 6月1日 実業之日本社より『姓名の神秘』出版、瞬く間に数十版を重ねる |
昭和7年(1932年) | 4月 五聖閣講学院開設。 五聖閣の研究・教育部門として設立し、姓名学、易学などの講座を行う教育施設として開校 |
昭和7年(1932年) | 東京神田及び丸の内に出張所を開設(海外にも開設) |
昭和26年(1951年) | 2月 衆議院法務委員会で漢字制限の問題について五聖閣二代目代表熊﨑彬恒が名前に使う漢字について講演 |
平成6年11月(1994年) | 新社屋「五聖閣ビル」を創業の地東京大森に竣工 |
平成18年10月(2006年) | 株式会社化し、株式会社五聖閣設立。熊﨑一紗が社長に就任。五聖閣講学院を全国にも展開。NHK文化センターの他、読売文化センター・六本木ヒルズアカデミアカレッジなどのカルチャーセンターにて姓名学入門講座や赤ちゃんのお名前講座などのマタニティセミナー等も開催。 |
平成19年10月(2007年) | 創業者熊﨑健翁の生誕125年、五聖閣の設立日である2月11日が 「熊﨑健翁記念日」 として制定されました。熊﨑式姓名学を創案し、 日本の運命学の普及と発展に貢献し、速記術を考案した業績に加え、教育委員や区議会議員など地域貢献にも活躍した熊﨑健翁の多くの功績を称えている。 |
平成26年7月(2014年) | 岐阜県恵那郡(現恵那市)出身である熊﨑健翁の功績が称えられ、岐阜県立博物館にて展覧会が開催され、各著書の初版本などが展示紹介された。 |
五聖閣設立者 日本姓名学始祖
熊﨑健翁 (くまさき けんおう)

熊﨑健翁は、新聞界で活躍する傍ら易学を究め、「熊﨑式姓名学®」を考案した人物です。昭和2年(1927 年)時事新報社退職後、昭和3年(1928年)現在の地である東京大森に五聖閣を創業しました。昭和4年1月1日姓名学を公式発表、熊﨑式姓名学®の姓名判断法を『主婦の友社新年号』で発表しました。同年6月に発行した『姓名の神秘』は大ベストセラーとなり、現在も姓名判断のバイブルとして重版発行され続けています。平成31年には発行90周年となり、不朽の名作として愛され続け、現代の名付けの方法として全国・世界に広まっています。その他『易占の神秘』(昭和6年発行)や『運命の神秘』(昭和4年発行)など実業之日本社発行の神秘シリーズをはじめ、姓名学を中心に数多くの書籍を執筆し、日本の文化発展に寄与しました。
熊﨑の起こした事業には、熊﨑の創案した姓名学を使っての個人の命名の他、特に会社名、芸名、雅号に多くの実績を誇ります。また、各界の要人達から厚い信頼を寄せられた易学などの鑑定事業も繫栄し、講学局では後進の指導と門人を全国に抱え、出版局、広告局で全国や外国にも五聖閣の名を轟かせました。そして晩年に至るまで精力的に出版や教育活動を続け、多くの実績を残しました。昭和26年衆議院法務委員会での「漢字制限について」の講演の依頼により、その後の人名用漢字の追加に大きな貢献を果たしました。また、大森区会議員や東京府連合教育会の大森区教育会副会長を務めるなど、地域社会活動にも貢献しました。
熊﨑式姓名学を創案し、 日本の運命学の普及と発展に貢献し、速記術を考案した業績に加え、教育委員や区議会議員など地域貢献にも活躍した熊﨑健翁の多くの功績を称えて、五聖閣の創立日2月11日が「熊﨑健翁記念日」に制定されました。そして、平成26年故郷の岐阜県立博物館にて展覧会が開かれ、熊﨑健翁の業績が紹介されました。
生い立ちから新聞記者時代
〇明治14年(1881年)岐阜県恵那郡(現在の恵那市)に生まれる。
13 歳で教壇に立ち、教員試験ではただ一人全教科満点、最年少で合格し、「東海の麒麟児現る」と新聞で紹介され、また、いつも本を手に持ち歩く姿は岐阜の二宮金次郎とも言われた。
その後、明治34年(1901年)に中京新聞社に入社。三重成功新聞で主筆を務め、伊勢新聞などで記者として活躍。
〇明治36年(1903年)、後の内閣総理大臣になる社長原敬に招聘され大阪新報に入社。
〇明治38年(1905年)東京に移り、福沢諭吉の次男捨次郎が社長を務める時事新報社へ入社。関東大震災では社屋被災の中、各新聞社の中でただ1社翌日には新聞発行(号外)を行う体制を作るなど、大いに活躍しました(『時事新報大震災復興録』出版時事新報社 熊﨑著参照)。
〇明治36年(1903年)熊﨑式速記を発表し、続いて支那語速記を作るなど、速記界でも多大な功績を残した。
〇明治39年(1906年)『最新簡明速記術』出版 帝国速記學會
〇明治41年(1908年)志那語速記術を中国政府に献上し、賞賛を受ける。
〇大正3年(1914年)『新式速記術独習』(博文館)が天覧台覧を賜る。
〇大正9年(1920年) 内閣府および明治神宮造営局の依頼を受け、明治神宮造営奉仕のために上京した青年団に対し、講演活動を開始。以後2年間以上続き、何十万の若者に講演をした。
〇大正12年(1923年)9月1日、関東大震災の発生により、新聞発行復旧のため尽力。号外発行。
〇大正14年(1925年) 大正11年発行された、熊﨑の伝記『修養実訓 奮闘之快感』(長久社)が増補再版され、皇太子裕仁殿下・秩父宮雍仁殿下の内覧を賜る。
〇昭和2年(1927年) 日本新聞学院教授に就任。
五聖閣の出版書籍
出版年 | 書籍名 | 出版社 |
---|---|---|
明治39年 | 最新簡明速記術 | 帝国速記学会 |
明治41年 | 支那語速記術 | 支那資政院 |
大正元年 | 日本百科事典速記術 | 三省堂 |
大正11年 | 修養実訓 奮闘之快感 | 長久社 |
大正13年 | 時事新報大震災復興録 | 時事新報社 |
昭和2年 | 熊﨑式速記術独習 平易速成早書 | 長久社 長久社 |
昭和3年 | 五聖閣設立 幸運占集の中 | 主婦之友 |
昭和4年 | 幸運占集の中 姓名学初公表 幸福になる名前の付け方 姓名の神秘 | 主婦之友 五聖閣出版局 実業之日本社 |
昭和5年 | 幸運占集姓名学 運命の神秘 | 主婦之友 実業之日本社 |
昭和6年 | 易占の神秘 姓名の哲理 熊﨑式姓名学大奥義 | 実業之日本社 春秋社 五聖閣出版局 |
昭和7年 | 熊﨑式先天運推理學大奥義 相学維新人相編 相学維新骨相編 熊﨑易本義乾巻 | 五聖閣出版局 五聖閣出版局 五聖閣出版局 五聖閣出版局 |
昭和8年 | 熊﨑易本義坤巻 周易正文 熊﨑式姓名学普及版 熊﨑健翁52年史 家相正義 姓名尊重の大義 熊﨑式姓名学開運法 | 五聖閣出版局 五聖閣出版局 五聖閣出版局 五聖閣出版局 五聖閣出版局 五聖閣出版局 五聖閣出版局 |
昭和9年 | 相学維新人相手相骨相 愛児の恵福名付け方 姓名学の知識 | 五聖閣出版局 丸の内出版 五聖閣出版局 |
昭和12年 | 姓名は生命 赤ちゃんの名付け読本 | 五聖閣出版局 婦女界社 |
昭和14年 | 姓名の科学 開運最新姓名学 | 五聖閣出版局 婦女界社 |
昭和15年 | 印相之神秘 | 銀杏堂 |
昭和16年 | 易学奥義 | 五聖閣出版局 |
昭和22年 | 赤ちゃんの名付け読本 | 時代社 |
昭和24年 | 名前の付け方選び方 | 時代社 |
昭和26年 | 姓名の科学知識 | 五聖閣出版局 |
昭和30年 | 神秘姓名学決定編 熊﨑式姓名学英字編 | 五聖閣出版局 五聖閣出版局 |

